人物リスト1〜50
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西暦
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時代
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氏名
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ゆかりの
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活動分野
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キーワード
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須佐町 | ? | ? | 歴史 | 古事記に登場し八岐大蛇を退治。須佐町に伝説が残る。須佐乃男命。 | ||||
200 | 下関市他 | ? | ? | 歴史 | 仲哀天皇の皇后。満珠干珠など三韓攻略にまつわる伝承が数多く残る。 | |||
下関市他 | ? | ? | 歴史 | 第14代の天皇。長門地方を舞台とした熊襲討伐の伝承が数多く残る。 | ||||
500 | 山口市・防府市・下松市 | ? | ? | 歴史 | 百済の聖明王の第3子。渡来し多々良姓を名乗る。大内氏の祖先。 | |||
柳井市・平生町・大島町 | ? | ? | 歴史 | 用明天皇の寵愛を受けた豊後の長者の娘。柳井などに伝説が残る。 | ||||
794 | 平安 | 油谷町 | 719 | 756 | 歴史 | 唐の玄宗皇帝の寵姫。政変から逃れ油谷町に漂着したという伝説が残る。 | ||
800 | 豊浦町 | 809 | ? | 文学 | 六歌仙に数えられる平安時代の歌人。豊浦町に墓所の伝説がある。 | |||
900 | 防府市 | 845 | 903 | 歴史 | 学問の神。 太宰府下向の途中立ち寄り防府天満宮に祀られる。 | |||
1000 | 山陽町 | ? | ? | 文学 | 平安の歌人。「和泉式部日記」。山陽町に墓所の伝説がある。 | |||
1100 | 徳地町・防府市 | 1121 | 1206 | 歴史 | 僧。奈良東大寺再建のため木材調達等を行った。 | |||
徳地町 | 1164 | 1265 | 歴史 | 太政大臣。重源上人を支援し月輪寺薬師堂建立に貢献した。 | ||||
1192 | 鎌倉 | 豊田氏・厚東氏・大内氏 | 下関市・豊田町 | 1178 | 1185 | 歴史 | 壇ノ浦で入水した平安時代最後の悲劇の天皇。 | |
1200 | 山陽町 | ? | ? | 歴史 | 厚狭川に堰を築いて美田を開いた伝説の人。 | |||
1300 | 山口市 | ? | 1380 | 歴史 | 大内氏24代当主。厚東氏を滅ぼし防長両国を統一した。 | |||
1338 | 室町 | 大内氏 | 山口市 | 1356 | 1399 | 歴史 | 守護。周防・長門・石見・豊前・和泉・紀伊の守護を兼任し隆盛を誇った。 | |
山口市 | 1377 | 1431 | 歴史 | 守護。兄義弘の菩提を弔うため五重塔を建立。モリミと読む説もある。 | ||||
1400 | 山口市 | 1420 | 1465 | 歴史 | 守護。別邸・築山館を築き、西国随一の都市・西の京、山口を築いた。 | |||
山口市 | 1420 | 1506 | 美術 | 画聖と呼ばれる。山水画を大成。国宝「山水長巻」「天橋立図」等。 | ||||
山口市 | 1421 | 1502 | 文学 | 東山文化を代表する連歌師。守護大内政弘に招かれ山口に滞在。 | ||||
山口市 | 1446 | 1495 | 歴史 | 守護。勘合貿易を振興し宗祇・雪舟を保護して大内文化を育てた。 | ||||
山口市 | 1497 | 1571 | 歴史 | 陶晴賢を討ち、尼子氏を下して中国地方を制覇。三矢の訓で有名。 | ||||
1500 | フランシスコ・サビエル | 山口市 | 1506 | 1552 | 歴史 | 山口でキリスト教布教の礎を築いたスペイン人宣教師。 | ||
本郷村 | ? | ? | 産業・開発 | 山代和紙作りを始めた。楮祖神社に祭られている。 | ||||
山口市 | 1507 | 1551 | 歴史 | 守護。サビエルに布教を許可した。陶晴賢の謀反により自害。 | ||||
周南市 | 1521 | 1555 | 歴史 | 武将。大内氏の重臣。富田周辺を本拠地とする陶氏は、大内氏の家臣として重きをなしていたが、晴賢は主君である大内義隆の政治が戦乱の世にそぐわないと考え、1551年に義隆を排して実権を握り、大友晴英を迎え大内氏を継がせた。その後1555年に厳島合戦で毛利元就に敗れ自刃した。 | ||||
山口市 | ? | 1557 | 歴史 | 守護。大友宗麟の弟。義隆の死後招かれて大内氏を継いだ。 | ||||
1557 | 毛利元就 | 東和町 | 1533 | 1604 | 歴史 | 能島村上水軍の惣領で毛利元就の家臣となった。東和町に墓所が残る。 | ||
萩市・山口市 | 1547 | 1618 | 美術 | 画家。雲谷派の開祖。毛利輝元から雲谷庵を拝領した。雪舟三世。 | ||||
阿武町 | 1549 | 1610 | 歴史 | 出雲国守護。毛利元就の軍門に降った。阿武町の大覚寺に眠る。 | ||||
むつみ村 | ? | 1585 | 歴史 | 大内の重臣で石州三本松(津和野)城主の娘。むつみ村に眠る。 | ||||
萩市 | 1553 | 1625 | 歴史 | 大名。領土を拡大したが、関ヶ原で敗れ防長2国に減封された。 | ||||
岩国市 | 1561 | 1625 | 歴史 | 岩国藩初代藩主。関ヶ原敗戦後、毛利氏存続のため尽力した。 | ||||
1573 | 安土桃山 | 毛利輝元 | 下関市 | 1584 | 1645 | 歴史 | 剣豪。巌流島の決闘で知られる。後に兵法二天一流を開いた。 | |
下関市 | ? | 1612 | 歴史 | 豊前小倉藩の剣術指南。巌流島で宮本武蔵に敗れたとされる。 | ||||
萩市 | ? | ? | 陶芸 | 李朝朝鮮の陶工。文禄・慶長の役に際し弟李敬と共に来日。御用窯の開祖。 | ||||
萩市 | ? | 1643 | 陶芸 | 李朝朝鮮の陶工。李勺光の弟。萩の御用窯の開祖。初代坂 高麗左衛門。 | ||||
山口市 | 1591 | 1644 | 美術 | 画家。雲谷派二代目。雪舟四代を称した。「雪舟等楊像」など。 | ||||
岩国市 | 1596 | 1672 | 歴史 | 錦帯橋の設計に関わった中国の僧。医術文化振興に貢献した。 | ||||
周南市 | 1598 | 1662 | 歴史 | 治水事業。鹿野発展の基礎を築いた。錦川の支流・渋川の水を鹿野台地にひくため、慶安4年(1651)に藩から許可を得て、私財を投じ足かけ4年の歳月をかけて工事を行った。漢陽寺の裏山に約100メートルのトンネル(潮音洞)を掘り、鹿野の町を潤す水をもたらした。 | ||||
1600 | 楠町 | 1602 | 1680 | 文学 | 俳人。庶民に俳諧を広めた。「毛吹草」などの紀行文で知られる。 | |||
周南市 | 1602 | 1679 | 歴史 | 大名。徳山藩初代藩主。毛利輝元の次男として生まれ、16歳の時に都濃郡を中心とした3万石余りの地を与えられて分家した。当初下松に藩邸を構えたが、海陸交通の便のよい野上に藩邸を移し、1650年に地名を野上から徳山と改めた。 | ||||
1603 | 江戸 | 毛利秀就 | 岩国市 | 1621 | 1679 | 歴史 | 岩国藩主。錦帯橋の架橋に情熱を捧げた。 | |
毛利吉広 | 阿武町 | 1644 | 1694 | 文学 | 俳聖。諸国行脚の途中で立ち寄った阿武町に句碑が残る。 | |||
毛利綱広 | 徳山市 | 1652 | 1727 | 歴史 | 大阪で成功した商人。仮名手本忠臣蔵に登場する。 | |||
長門市 | 1653 | 1724 | その他文化 | 浄瑠璃作家。長門出生説がある。「国性爺合戦」等。 | ||||
毛利外交 | 萩市 | 1677 | 1731 | 歴史 | 長州藩主。藩校明倫館を創設した。 | |||
1700 | 毛利吉元 | 防府市 | ? | 1777 | 産業・開発 | 実業家。製塩業を確立し塩釜明神と呼ばれた。 | ||
防府市・美東町・福栄村 | 1710 | 1810 | 美術 | 僧。各地を旅しながら木喰仏と呼ばれる独特の仏像を作った。 | ||||
毛利宗広 | 防府市 | 1721 | 1797 | 学術・教育 | 紅白二球の教えで知られる。 | |||
萩市・防府市 | 1725 | 1789 | 歴史 | 長州藩主。撫育方を創設し防長四白を振興した。 | ||||
橘町 | 1727 | 1797 | その他文化 | 書家・詩人。近世の三筆の一人といわれる。 | ||||
豊北町 | 1729 | 1759 | 歴史 | 阿川毛利家当主。時修館を創設した。 | ||||
萩市 | 1731 | 1791 | 学術・教育 | 日本で初めて女体を解剖した医師。萩大屋の刑場跡に碑がある。 | ||||
岩国市 | 1736 | 1820 | 産業 開発 | 大阪から綿の種、九州からはすの種を持ち帰り、綿とれんこんの栽培を広めた。 |
※「ひとのくに山口」は、市町村から推薦のあった人物を中心に掲載しており、掲載されている人を評価するものではありません。 ※「人の歴史」は原則として人物の生年を基準にしていますので、活躍した時代とは異なる欄に記載されている場合があります。 ※市町村名は平成13年度時点(市町村合併前)のものです。 |