飛耳長目
飛行機も新幹線もありませんでした。
吉田松陰
日本地図 当時、飛行機や新幹線は使用不可でした。
松陰は飛耳長目を実行した人で 情報収集のため、諸国を歩いて見聞を広めました。
世界までも知りたいと、アメリカ艦隊に密航を企てましたが失敗。
そのせいで後に大罪人となるはめに・・・。
 
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飛耳長目とは吉田松陰

 物事の観察に鋭敏えいびんで あるということです。できるだけ『情報収集』を することでもあります。
 松陰は日本全国を見聞して歩き、情報収集に努めました。
  また、密航に失敗し、自宅謹慎の身となった後も、萩の松下村塾にいながらにして、外部の多くの情報をつかんでいました。
 それは情報の大切さを知っていた松陰が、塾生たちに見聞を広めることを勧め、そのことを実行に移した塾生たちは見聞した内容を、飛耳長目録に書きまとめて松陰に伝えていたからです。
 さらに、松陰はそれらの情報を長州藩政府にも伝達していたのです。