治承4年(1180年)に東大寺(が焼失し、養和(元年(1181年)に大勧進職(に任じられた俊乗房重源(は、東大寺再建にのりだしました。
文治(元年(1185年)には大仏が完成すると、朝廷は文治2年に周防国((現在の山口市徳地の佐波川、島地川水系の地域)を東大寺造営料国(に指定して重源に国政を任せ、東大寺の他の建物についても造営を命じました。当時、近畿地方では木材が不足していたので、重源は、周防国から木材を調達しました。
木材の出所については、用いられた材木の年輪の幅を計ったことにより、法光寺阿弥陀如来坐像((山口市徳地)と東大寺南大門金剛力士像(のヒノキが、山口市徳地の得地保(産の同じヒノキであることが判明しています。
なお、阿弥陀寺((防府市)には、重源のモニュメント(記念建造物)として、東大寺大仏殿完成を記念した鉄宝塔(や木造重源坐像(が伝来しています。また、島地川下流には、重源の頃の建物である月輪寺薬師堂(があります。
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阿弥陀寺

阿弥陀寺木造重源座像 |