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壇ノ浦の決戦
 源氏と平氏の戦いは、これまで貴族社会だった日本を、武家ぶけ社会へと大きく転換させました。戦いは、瀬戸内海を一ノ谷いちのたに(兵庫県)から屋島やしま(香川県)へと、西に戦場を移動しながら進み、下関の壇ノ浦だんのうらで最後の決戦を迎えました。
 1185年3月24日、源義経みなもとのよしつね率いる源氏の船団と、これを迎え撃つ平氏の船団の決戦は、開戦当初は関門海峡の東向きの潮にのった平氏が優勢ゆうせいでした。ところが潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が盛り返し、平氏は壇ノ浦に追い詰められ、わずか8歳だった安徳あんとく天皇とともに、一族の多くが海に飛び込み、滅亡めつぼうしました。ちなみに、戦いが始まったのは午前6時頃で、戦いが終わったのは午後4時頃といわれています。

壇ノ浦古戦場跡
壇ノ浦古戦場跡

イベント源平合戦 イベント源平合戦
 
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 安徳天皇の菩提ぼだいをとむらうために、祖父の後白河法王ごしらかわほうおうにより、1191年に現在の下関市に阿弥陀寺あみだじと呼ばれる堂宇どううがつくられ、安徳天皇はここにまつられました。なお、阿弥陀寺は、現在では赤間神宮あかまじんぐう(下関市)となっています。   

興味のある人は・・・
 「平家物語へいけものがたり」、「吾妻鏡あずまかがみ」、「愚管抄ぐかんしょう」や「百錬抄ひゃくれんしょう」などの古典を読んで「壇ノ浦の決戦」を学んでみませんか。 
竹内理三編 『角川日本地名大辞典 35山口県』 角川書店 1988年  
小川国治編 『山口県の歴史』 山川出版社 1998年   
八木 充編 『図説 山口県の歴史』 河出書房新社 1998年 
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