【やまぐちを知ろう!】コンテンツリスト
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歴史の概観
年表
弥生人の渡来
東大寺再建と重源
壇ノ浦の決戦
大内文化と「西の京」
毛利氏
朝鮮通信使
巌流島の戦い
吉田松陰
高杉晋作
馬関戦争
幕末維新
廃藩置県と「山口県」の設置
8人の総理大臣
歴代の県知事
巌流島の戦い
関門
(
かんもん
)
海峡にかかわる歴史的な
逸話
(
いつわ
)
として広く知られているのが、
宮本武蔵
(
みやもとむさし
)
と
佐々木小次郎
(
ささきこじろう
)
の
巌流島
(
がんりゅうじま
)
における決闘です。巌流島は下関市の彦島江の浦東岸250mにあり、北端に小山があるほかは平らな島で、無人島です。
当時、諸国をまわったのち小倉の細川家に仕え、小倉城下に道場を開いていた佐々木小次郎に、
諸国修行
(
しょこくしゅぎょう
)
中の
武芸者
(
ぶげいしゃ
)
宮本武蔵が、細川家の家来であった
長岡佐渡
(
ながおかさど
)
を通 じて試合を申し込みました。試合場所に指定されたのが、この島でした。慶長17年(1612年)4月13日の試合当日、約束の時間に遅れて島に着いた武蔵は、船の
櫓
(
ろ
)
をけずって作った長い木剣で小次郎を倒した……と語られています。武蔵はこの後、細川家の客分として(「細川家に仕えた」という説もあり)
晩年
(
ばんねん
)
をまっとうしたわけですが、敗者である
巌流
(
がんりゅう
)
佐々木小次郎の名がこの島に残され、一般 に巌流島と呼ぶようになったのです。
巌流島(船島)
舟形の碑
佐々木巌流之碑
巌流島
巌流島は、正式な名称を
船島
(
ふなしま
)
(下関市)といいます。関門海峡大瀬戸にうかび、下関市と民間の会社で所有する島です。明治期以降数度のうめ立てで、面 積が5倍以上になっています。北西の
端
(
はし
)
に船着き場があり、下関市が、いこいの広場として整備をして市民に利用されています。
竹内理三編 『角川日本地名大辞典 35山口県』 角川書店 1988年