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産業の概観 農業 林業 水産業 工業 商業 貿易 これからの産業
産業の概観
 山口県はアジア大陸に近いため、早くから大陸文化の影響を受け、紀元前2〜3世紀には稲作技術が伝わり、水稲すいとう耕作が行われてきました。その後、7世紀の大化の改新以降の租・庸・調そ・よう・ちょうの税制度によって、周防、長門の2国は綿・米・紙などを国家へ納めるようになり、さば・わかめ・銅などの特産品も生まれてくるなど、産業が芽生えてきました。さらに、14世紀になって大内氏が防長二国を統一した後、朝鮮やみんとの盛んな貿易によって漆器・刀剣・絹織物などの産品も取り扱ったことから、関連する業種や商業が栄えた時期もありました。しかし、産業全般 としては、農耕を中心とした自給自足のための小規模な生産が中心で、17世紀の長州藩の殖産しょくさん政策(産業を盛んにすること)の時代を迎えるまでは、まだ産業とまでは呼べない状況が続いていたと考えられています。
 長州藩の時代になって、藩の収入を安定させるため、瀬戸内側を中心に沿岸を埋め立てた大規模な開作の築造(新田の開発)が行われ、農具や肥料の改良も進んだことから、米の生産量 が飛躍的に伸びました。また、塩田もたくさんつくられ、西まわり航路ができると、長州藩の塩は、北前船きたまえぶねで遠く北海道まで運ばれました。さらに、北浦地方を中心に捕鯨も盛んに行われるようになりました。 長州藩では、これらのような殖産政策を進めましたが、米、塩、紙、ろうは「防長四白」とよばれ、藩の重要な商品として、特にその生産を奨励しょうれいしました。
 この時代は、農業以外でも、鉱業における採掘技術や水産業における漁法、織物業における綿栽培など、さまざまな産業で技術開発が進み、産業全般 の発展がみられた時期でした。 その結果、貨幣かへい経済が進み、問屋制家内工業や工場制手工業がみられるようにもなりました。 明治期に入ると、明治政府のもとで近代工業の導入と振興が進められ、本県においても、セメント製造や機械製糸の工場が設立されるなど、近代工業の芽生えがみられましたが、明治期は、まだ農業を中心産業とする県でした。
 大正期に入ると、県内の豊富な鉱物資源や恵まれた港湾条件などにより、瀬戸内海沿岸地域には、造船、化学、機械、金属などの工場が次々と立地し、昭和初期には農業県から工業県へと転換しました。その後も重化学工業を中心に成長を続け、第二次世界大戦後には石油化学コンビナートが形成されるなど、全国有数の工業県として発展していきました。 一方、農業、林業、水産業などの第一次産業は、工業化の進展などによる人口の都市部への流出などを主な理由として産業としての比重が相対的に低下していきました。
塩作り
塩づくり

ふぐ競り ふぐ競り


 近年においては、都市化の進展に伴って商業・サービス業などの都市型産業が成長するとともに、従来の産業分野を超えた多彩 な産業活動が活発化し、新産業の創出や新規事業への展開の取り組みなどが進められるようになってきました。
工業団地 工業団地
 
周防鯖
 古代(奈良・平安期)の周防国の特産品の一つに鯖があり、周防鯖すおうさばと称して諸国名物に数えられていました。

山口県の日本一企業
 やまぐち知っておき情報「山口県の日本一企業!」

ふるさと産業振興への取組
 県では平成20年に「山口県ふるさと産業振興条例」を制定し、県内のすべての産業で「地産・地消」を進めることで「ふるさと産業」を振興する取組を行っています。
 条例では、県民の皆さんが「ふるさとを愛し、はぐくむ意識」を持って、「県産品」(=県内で生産・製造される製品やサービス等をいいます。)の地産・地消を進めていくことを期待しています。
●関連情報【条例の詳しい内容など】
山口県議会ホームページ(「政策条例」)

山口県編 『山口県史 資料編/史料編』 山口県 1996年〜
山口県編 『やまぐち未来デザイン21』 山口県 1998年
山口県教育委員会編 『防長産業の歩み』 山口県教育委員会 1981年
三坂圭治著 『山口県の歴史』 山川出版社 1992年
クイズ 県のシンボル 自然 歴史 産業 住み良さ 生活 文化 観光 国際 教育

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