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産業の概観 農業 林業 水産業 工業 商業 貿易 これからの産業
工業
 江戸時代、関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏は、防長二国36万9千余石へと、大きく領地を減らされてしまいました。領地が減ったことによる財政難に対処するため、内政の充実とともに殖産しょくさん政策(産業を盛んにすること)に力を入れました。そして、米、塩、紙、ろうの生産性を高め、これらを領外に販売することで、大きな利益をあげたのです。これらの物産物がいずれも白色であったため、「防長の四白」と呼ばれていました。
 明治維新をて、大正時代に入ると、第1次世界大戦の頃の好景気により、下関を中心とした地域に造船業、小野田・厚狭を中心とした地域に化学工業が起こりました。
 昭和時代の初期には、石炭業、電気事業が発展し、瀬戸内海における輸送力が大きく伸びるなどにより、山口県に、県外から大企業が進出してきました。この頃から、山口県は農業県から工業県へ転換し、重化学工業を中心に大きく発展し、日本有数の工業県としての地位 を確立したのです。
 第2次世界大戦後、復興のため、基礎きそ産業に対し国の手厚い援助措置が行われ、山口県でも、石炭をはじめ、化学肥料・セメント・鋼材などの基礎生産財が大きく回復・成長しました。
 その後、朝鮮戦争での特需とくじゅを経て、高度経済成長期に、国内需要と輸出が大きく伸びたことから、山口県では重化学工業(機械・金属・輸送・電気工業・化学中心)が発展し、周南地域などに石油化学コンビナートが形成されました。
 今日、瀬戸内海沿岸地域には、石油、化学、鉄鋼、造船などの重化学工業を中心とする数多くの企業が立地しており、また、防府市の自動車工場や宇部市の電子部品工場など、加工組立型の工場の立地も進んでいます。そして、事業所あたり製造出荷額、 従業者あたり製造出荷額ともに全国第1位を占める(平成22年度)など、全国でも有数の工業地帯が形成されています。
 このように、山口県の産業構造は、基礎素材型きそそざいがた産業に特化しており、山口県の工業は、県外そして国外の生産活動も支えています。
 また、山口県は、全国に比べて輸出依存度が高い県です。
 海外からのニーズが高い状況にあれば、県内の経済も活性化するのですが、その反面、海外の景気が悪くなったり、円高の状況になった場合は、その影響を受けやすいと考えられます。例えば、企業の予想を超えた円高になるなど国外の活動の方が有利な場合、企業が海外へ活動の場を移転し、県内から企業がいなくなってしまうおそれがあります。
 そこで、山口県では、化学工業を中心とする「世界への素材供給基地(そざいきょうきゅうきち)」としての特性をさらに活かせるような方向で、県外の企業が県内に進出できるようサポートしたり、最先端の技術を有する企業を支援するなどの取組を行っています。
コンビナート
コンビナート


加工組立型工場 加工組立型工場
(自動車工場のライン)
 
工業にちなんだ地名
 山口県内には、地域の工業にちなんだいろいろな地名があります。
 その一例を紹介しましょう。

製品にちなんだ地名
セメント町、硫酸町りゅうさんまち火薬かやく町 (山陽小野田市)
企業にちなんだ地名
鐘紡かねぼう町(防府市)、協和町(防府市 協和発酵はっこうバイオ(株))


山口県の工業についてもっと知りたい時は・・・ ・

山口県新産業振興課
山口県企業立地推進室
(地独)山口県産業技術センター
(財)やまぐち産業振興財団
山口県編 『産業振興ビジョン21』 山口県 2001年
山口県編 『きらめき山口Q&A』 山口県 1999年
山口県教育委員会編 『防長産業の歩み』 山口県教育委員会 1981年
クイズ 県のシンボル 自然 歴史 産業 住み良さ 生活 文化 観光 国際 教育

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