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『交流』先駆県!
山口のすばらしさ・魅力を紹介します。
 山口県は、三方を海に開かれ、本州の最西端に位置するという地理的特徴を反映して、早くから大陸文化流入の門戸としての役割を担ってきました。
 下関市の国指定史跡「土井ヶ浜どいがはま遺跡」は、弥生時代の集団墓地遺跡であり、そこから発見された弥生人の300体余りの人骨は、前代の日本列島にすんでいた縄文人とは明らかに異なる特徴を持った人々で、大陸から新しい文化をもたらした渡来人のものと考えられています。
 室町時代には、大内氏が、周防・長門の両国を拠点に、石見(島根県)、筑前(福岡県)、豊前(大分県)など7か国を支配して西国一の勢力を誇り、大陸諸国との経済・文化交流を盛んに行いました。日本と中国(明)との勘合かんごう貿易では、大内船は7回派遣され、大内氏は莫大な富を得るとともに、進んだ大陸文化を積極的に移入しました。
 江戸時代末1864年に、長州藩は英、仏、蘭、米4国の連合艦隊との馬関ばかん戦争で敗れ、それまでの尊王攘夷論そんのうじょういろんを、開国かいこく尊皇倒幕論そんのうとうばくろんへと大転換させ、明治維新へと突き進んでいき、武家社会から近代社会へ時代を大きく動かしました。
 明治時代になると下関港は朝鮮半島や中国大陸とわが国の交易の玄関口として発展してきました。現在も、下関港と韓国・釜山ぷさん港間の関釜フェリーや、下関港と中国・青島ちんたお港間の定期航路で海外と結ばれています。

衛星通信基地
衛星通信基地
現在も世界と結びついている山口県です

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(下関市)

遣明船
遣明船



関釜フェリー
関釜フェリー

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