夏みかんは山口原産
夏みかん原樹

夏みかんの正式和名は「ナツダイダイ」


 ナツダイダイ(夏橙) 学名 Citrus,natsudaidai,HAYATA(大正8年(1919年)早田文蔵命名
               みかん科→みかん亜科→みかん属→なつみかん(なつだいだい)
 
 山口県長門市仙崎大日比(青海島)に「大日比ナツミカン原樹」といわれるものがある。昭和2年(1927年)に国の史跡および天然記念物に指定された。播種の時期は安政年間(1772〜1780年)とも宝永年間(1704〜1710年)ともいわれている。 「おいでませ ながと(長門市観光協会公式サイト)」には、「18世紀に西本チョウという女性が、青海島の海岸で果実を拾い庭先に種をまいて育てたもので、日本の夏みかんの原樹と呼ばれています。」と紹介されている。原木のある大日比の寺に参拝した萩の侍や町人が夏みかんの実や苗を萩に持ち帰り、家の庭などに植えられ、萩で夏みかんが栽培されるようになったようである。「当時は、ダイダイ、ナツダイダイ、形状からバケダイダイ、児玉邸の橙の意味の児玉ミカンなど、さまざまな名称で呼ばれていたが、夏九年母(なつくねんぼ)と記したものもある。(萩市史第二巻)」
 
萩で夏みかんの経済栽培が始まったのは明治9(1976)年。

 旧萩藩士小幡高政が、「夏橙樹を、維経済栽培することによって収益をあげ、維新以来、生計の途を失って困惑している在萩士族救済の策としようとし(萩市史第二巻)」て、明治9年に種子をまき、翌年苗木1万本を接木し、翌々年(明治11年)に苗木を氏族に配ったのがはじまりである。その後も、苗木を植えるものは増え続け、萩はもちろん県内各地に夏橙の栽培が普及していった。
 また、萩地方は、対馬海流の影響で温暖な気候のため、かんきつ類の栽培に適していたのも栽培が普及した理由の1つである。

ダイダイ、ナツダイダイから「夏みかん(ナツミカン)」(商品名)へ

 明治22年(1889年)、京阪神地方への出荷のため、大阪を訪れたとき、「ダイダイは代々と書けば、中風を意味するヨヨとも読めて不吉であるから(萩市史第二巻)」夏蜜柑(ナツミカン)と改めるように大阪天満市場の問屋小林市之助に勧められ、商品名ナツミカンが誕生した。
 初期には、果実3〜5個が米1升(1.5kg)と同じ値段で取り引きをされた。
夏みかん選別機
萩博物館の展示されている夏みかん選別機

県花「夏みかんの花」
 郷土を象徴する花としてNHKが昭和29年3月22日選定。 花の時期は5月ごろ。
 5月は町中が夏みかんの花の香りに包まれるので、萩城下町夏みかんの花環境省の「かおり風景100選」に選ばれた。
 山口県内のガードレールは、夏みかんの皮の色をとって、オレンジ色が多い。


参考資料
おいでませ ながと(長門市観光協会公式サイトhttp://member.hot-cha.tv/~htb05645/index.html/
萩市史第二巻