わがまちベスト3
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朝鮮通信使ちょうせんつうしんし
 江戸時代、朝鮮通信使が上関へ立ち寄った際、正使などが宿泊した御茶屋おちゃやが上関にあり、地元の特産品を中心とした料理でもてなしをしていました。ここには萩の明倫館めいりんかんの学長など、学者も出向き文化交流を行いました。上関御番所には警固けいごのため萩の役人が詰め、鉄砲、大筒などのお飾り道具を飾り、市中の見回りも行っていました。現在、復元された御番所や石垣などの遺構いこうが残っています。 朝鮮通信使

祝島神舞いわいしまかんまい
 千百年以上も昔から続いている祝島神舞。嵐にあって祝島三浦湾みうらわん漂着ひょうちゃくした豊後伊美郷(現在の国見町)の人々に教わって、農耕のうこうを始めたことにより島の生活は大きく向上しました。このとき、同時に荒神の祭りも伝えられました。以来4年に一度、伊美別宮社から神職、里楽師さとがくしを迎え、合同祭事を行うようになりました。神舞では、櫂伝馬船かいてんませんや奉迎船が織り成す勇壮な入船出船、仮神殿では神楽舞が奉納されます。 祝島神舞


県有形文化財指定四階楼しかいろう
 明治12年、室津むろつ港に面 して建てられた異国情緒いこくじょうちょあふれる四階楼は、そのモダンな姿と豪華な漆喰鏝しっくいこて細工が人々の目を引きつけ、遠くからの見学者も多かったと言われます。四階層をつらぬく四本の柱やフランス製の赤、黄、緑、青のステンドグラスが入っているところなどが特徴です。このような擬洋風ぎようふう木造4階建ては、全国的にみてもほとんど例がなく、明治の文明開化ぶんめいかいかを象徴する貴重な建造物です。 四階楼

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