|
【山口】 |
IM72_066 |
高嶺城跡 |
指 定 | 国史跡 | ||
所 在 地 | 山口市上宇野令 | ||
概 要 | 1551(天文20)年、陶晴賢(隆房)は大内義長(義隆の甥)を擁立した。義長は豊後の大友宗隣の弟晴英であったが、大内義長として大内の家名を継いだ。毛利氏に対抗するため高嶺城を築いたが、1557(弘治3)年、毛利元就に攻められ、山口から下関の勝山城に逃れ、そこで自刃した。毛利氏は拠点の城として経営していたが、1615(元和元)年の一国一城令で取り壊された。現在は手軽なハイキングコースとして市民が利用している。 | ||
所 有 者 | 山口市 | ||
撮 影 者 | 渡辺健策 | ||
撮影年月日 | 2002.10.9 |