WB23_011

大敷網はいま

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制作の意図
 江戸時代の初期、豊浦郡湯玉で発祥した大敷網漁は、五島や対馬に伝わり、やがて西日本の各地に広がり、沿岸漁業の中心的な役割を担うようになった。その後、大敷網漁は改良され、山口県の沿岸各地で行われていたが、近年の沿岸漁業の不振に伴って次々と廃止され、今では北浦で9か所だけ大型定置網漁業を行っているにすぎない。阿武町宇田郷地区には宇田浦と尾無の2か所に大型定置網が現存しており、地元ではこのことを大敷と呼んでいる。この教材は、大敷網の歴史や仕組、漁の仕方などを描くもので、衰退する沿岸漁業のなかで、大敷にかける宇田浦の人々の取り組みを探る。

■ 制作年度 平成8年度
■ 企   画 山口県教育研修所教材作成委員会
■ 制   作 大野進二
■ 対   象 小学校高学年、中学校、高等学校、一般




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西日本各地に広まった大敷網
西日本各地に広まった大敷網
   空から見た宇田浦の大敷と呼ばれる定置網   
空から見た宇田浦の大敷と呼ばれる定置網
内容・資料
■大敷網の起こり
 豊浦町湯玉漁港の近くに、大敷網発祥の地の石碑がある。豊浦郡水産資料によれば、元和年間(1615年〜1624年)岩見出し、前網、大曾根、壁の沖の4か所に大敷の網代があったとあり、第2回水産博覧会調査報告書には、明暦2年(1656年)山本惣左衛門が回遊している魚の群れを見て考案したとある。当時は画期的な漁法であったので、五島や対馬などに伝わり行われるようになった。
■大敷網の変遷
 大敷網は魚の通り道の網を張っておく、いわゆる定置網である。魚が入りやすい反面、逃げやすい面もあったので、入り口の近くでやぐらを立てて見張っていた。その後大謀網となり、現在は落し網が主流になっている。
■宇田の大敷
 風土注進案の宇田村には、大敷網の記載があり、江戸時代から盛んに行われていたと思われる。昭和16年(1941年)に宇田浦大敷組合が発足し、組合としての運営を開始した。宇田郷地区には2か所大敷網があり、昔は宇田浦の網代が潮の流れが速く、豪快な漁でもあるということで、”男網代”、尾無は”女網代”と呼ばれていた。漁は9月下旬から翌年の7月下旬で、海がしける日以外はほぼ毎日出漁している。とれる魚は季節によって違いはあるが、ブリ、アジ、イカ、タイ、サワラなどが主で、その漁獲高は一定していない。また後継者が少ないことも悩みである。
大敷の漁が描かれている川島神社の絵馬
大敷の漁が描かれている川島神社の絵馬
    みこしが海をわたる三穂神社の夏祭り
    みこしが海をわたる三穂神社の夏祭り
制作協力
■ 撮影協力 杉村重夫(宇田浦漁業協同組合)、水津久蔵(宇田浦大敷組合長)、山下登志人(大敷船長)、修行大助(長崎県上対馬町)
■ ナレーション 村田和己
■ 資料提供 石城和雄(豊浦町)、山口県文書館、山口県立山口図書館、山口県農林水産部、山口県外海水産試験場、宇田郷漁業協同組合、宇田浦大敷組合、尾無大敷組合


問い合わせ先
山口県教育研修所 カリキュラム支援部
〒754-0893 山口市大字秋穂二島1062番地 セミナーパーク内
<TEL 083-987-1190 FAX 083-987-0209> e-mail:kyoiku@center.ysn21.jp

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