タイトル

歴史 歴史の概観 年表 弥生人の渡来 東大寺再建と重源 壇ノ浦の決戦 大内文化と「西の京」 毛利氏 朝鮮通信使 巌流島の戦い 吉田松陰 高杉晋作  馬関戦争 幕末維新 廃藩置県と「山口県」の設置 8人の総理大臣 歴代の県知事
朝鮮通信使
  大内氏没後、戦国時代を経て日本は長い鎖国さこくの時代を迎えますが、江戸時代の鎖国下の日本にあって、李氏朝鮮りしちょうせんは正式に国交こっこうのあった唯一の国でした。
 将軍の代がかわった時や世嗣よつぎが生まれた時などに、朝鮮国王の親書しんしょをもって来日した友好使節団を朝鮮通信使ちょうせんつうしんしといい、1607年から1811年の200年余りの間に12回来日しています。朝鮮通信使の船が下関しものせき上関かみのせき寄港きこうしたさいに、長州藩では彼らを厚くもてなし、儒学じゅがくの先進国であった朝鮮の文人たちから水準の高い文化の吸収に努めました。

朝鮮通信使船上関来航図

贈答品目録
贈答品目録

贈答品
贈答品
 

調べてみよう!
 1711年の通信使が毛利藩主におくった品が、県立山口博物館に所蔵しょぞうされています。
常設じょうせつの展示はしていないそうです。
当時、目録もくろくといっしょに、人参にんじん栢子はくし(朝鮮松の実)、麻布や文房具などがおくられましたが、なかでも人参がもっとも珍重ちんちょうされたそうですが、残念ながら、これだけは使用されて現在は残っていないそうです。

関連リンク集
山口県立山口博物館
正徳元年朝鮮通 信使進物並びに進物目録しょうとくがんねんちょうせんつうしんししんもつならびにしんもつもくろく   
旧上関番所きゅうかみのせきばんしょ
 

上関町教育委員会編 『正徳度朝鮮通信使上関記録』 上関町教育委員会 1996年  
上関町教育委員会編 『正徳度朝鮮通信使帰帆記』 上関町教育委員会 1997年  
上関町教育委員会編 『正徳度朝鮮通信使来聘記 上、下』 上関町教育委員会 1996年(上)、1997年(下)
クイズ 県のシンボル 自然 歴史 産業 住み良さ 生活 文化 観光 国際 教育

トップぺージへこのページの頭へ やまぐちを知ろうトップへこの項目の先頭画面へ前のページへ 次のページへ