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【長門・萩・阿武】 |
IM73_073 |
来島又兵衛旧宅 |
指 定 | |||
所 在 地 | 長門市俵山 | ||
概 要 | 能満寺から右手奥に進むと幕末の萩藩士来島又兵衛の旧宅がある。又兵衛は西高泊村(現小野田市)の生まれで、藩士喜多村正倫の次男であったが、二十歳の時来島政常の養子となった。俵山に住むことは少なく、妻の郷里、厚保村(現美祢市)で暮らした。1864(元治元)年京都における藩勢力奪回をはかるため遊撃隊を率いて京都御所警備の幕府軍を攻め(禁門の変)、戦死した。 | ||
所 有 者 | 上原氏 | ||
撮 影 者 | 木嶋太郎 | ||
撮影年月日 | 9月29日 |