父:教一が語る「醤油の歴史」
醤油は最も身近な調味料、砂糖と並んですき焼きの立役者だね。醤油は「下地(したじ)」とか「むらさき」とも呼ばれ昔からわが国の調味料として使われてきたんだけれど、元々は味噌と同じく「醤(ひしお)」と呼ばれる塩漬けの発酵食品から発達した調味料だったんだね。大豆、小麦を原料に用いた濃口(こいくち)、淡口(うすくち)、溜(たまり)などの醤油と、魚肉を用いた魚醤(ぎょしょう:ベトナムのニョクマム、タイのナンプラー、秋田のしょっつるなどがそうです)に分かれるよ。
醤油の伝来や起源ははっきりしてないけど、文献に「しょうゆ」の名前が登場するのは室町時代の後期、1559年のことだよ。醤油が全国的に普及するのは17世紀初め江戸時代の初期のころで、関東では銚子(ちょうし)や野田(のだ)の濃口醤油、関西では兵庫県の龍野(たつの)の淡口醤油、紀州(和歌山県)の湯浅(ゆあさ)の溜醤油、中国地方では柳井(ご存じ山口県の柳井)の甘露醤油などが有名だよ。江戸中期には、西回りや東回り航路が発達し、全国各地に醤油が流通していくんだよ。
妹:修子のひとこと
江戸時代になって東海道などの街道や全国をつなぐ航路が整備されたのも醤油が広まった理由の一つね。参勤交代(さんきんこうたい)もこのような街道や航路を通って江戸と行き来したのね。
ボク:研一のひとこと
五街道や西回り、東回りの航路が開発され、全国各地から物産が大阪や江戸に集められ、また各地に流通していったんだね。扱われた商品は醤油だけでなく酒、木綿(もめん)、菜種(なたね)油なども有名だね。それに蝦夷地(北海道)のアイヌの人たちも樺太(からふと、サハリン)を経て中国東北部の人たちと交易を行い、蝦夷錦(えぞにしき)などが取引されたんだよ。また、わが国からは昆布やアワビなどが中国に輸出されていたようです。
母:育代のひとこと
醤油から江戸時代の貿易について考えるってとても良いことよ。江戸時代は鎖国の時代なので外国との交易が少なかったようなイメージがあるけど、実際は長崎や薩摩、松前などを通じてたくさん交易が行われていたのよ。たとえばヨーロッパでは18世紀中頃にはソースの味付けに日本の醤油が珍重され、オランダが日本の醤油を買い付け、ジャワ、インド、アフリカをへてヨーロッパまで運び、大きな利益をあげていたのよ。
ママの一口メモ
濃口醤油と薄口(淡口)醤油は、色の濃いうすいですから、塩分濃度の違いではありません。塩分濃度は薄口の方がやや高めです。


トップへ メニューへ 年表へ