豆腐 豆腐はいつごろ ひややっこ
父

父:教一が語る「豆腐の歴史」
大豆を原料とする豆腐は、中国からわが国に伝わった食品だよ。「豆が腐った」と書くけど、「腐」は中国ではヨーグルト状の柔らかく弾力のあるものを意味しているんだ。
中国では紀元前2世紀ごろ、前漢の建国者である劉邦(りゅうほう)の孫の淮南王(わいなんおう)劉安(りゅうあん)が発明したと言い伝えられているよ。わが国の文献では、平安末期の1183年、奈良春日大社の記録が最も古いといわれているんだ。また、日蓮宗の開祖である日蓮(にちれん)が書いた手紙(1280年)に「くすり豆腐」の記述があり、このころにはかなり普及していたようだね。

妹 妹:修子のひとこと
平安時代の終わり1183年ごろといったら源氏(げんじ)と平氏(へいし)が戦っていたころになるわね。平清盛(たいらのきよもり)や源頼朝(みなもとのよりとも)が活躍したころね。貴族の世の中から武士の時代に変わっていくころだって教わったよ。

研一 ボク:研一のひとこと
北条時宗ボクは1280年の日蓮の活躍したころについて説明してみるよ。確か鎌倉幕府の北条時宗(ほうじょうときむね)が執権(しっけん)として活躍した時代だね。この年の6年前とこの1年後にモンゴル・高麗(こうらい)軍が九州に攻めてきた1274年文永の役(ぶんえいのえき)と1281年弘安の役(こうあんのえき)は元寇(げんこう)と呼ばれて有名だね。

母 母:育代のひとこと
わが国では元寇と呼んで元が日本だけに攻めてきたように思われているけど、もっと広い範13世紀のユーラシア囲で当時の世界を見ることも大事なのよ。ベトナムの陳朝(ちんちょう)やジャワ島のマジャパヒト王朝も元軍の進入を撃退しているのよ。また、この13世紀中ごろは、モンゴルの各ハン国を通じて、人や物がユーラシア大陸の海の道(マリンロード)、絹の道(シルクロード)、草原の道(ステップロード)などで活発に行き交う海と陸のネットワークが発達した時代でもあるのよ。そんな中で、豆腐も日本に普及していったようね。


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