パン パンはいつごろ 食パン
父 父:教一が語る「パンの歴史」
パンの歴史はとても古く、小麦栽培が最初に行われたメソポタミア地方で今から6000年前ごろに始まったとされているんだ。パンは、製法、形、地方によって様々な呼び方があり、中国華北では蒸しパンのマントウ、インドやパキスタンではチャパティーやナーン、メキシコではトウモロコシで作ったトルティーヤなど様々なんだよ。
今日のいわゆるパンがわが国に伝わったのは1532〜55年の天文年間(てんもんねんかん)といわれている。ポルトガル人が伝えたらしく、パンの語源もポルトガル語のpaoに由来するようなんだ。江戸時代になると長崎出島のオランダ人が波牟(パム)というものを食べていると記録にあるよ。日本における本格的なパン作りは明治に入ってからで、西洋人向けにホテルで焼いていたほか、軍隊でもパン食が採用され、西南戦争では政府軍はパン食だったんだよ。1874(明治7)年に木村屋の木村安兵衛(きむらやすべえ)が米こうじを使ったパンにあんを入れた「あんパン」を売り出したのが評判になり、一般に広まったんだ。

妹 織田信長妹:修子のひとこと
ポルトガル人がやってきたころは室町幕府(むろまちばくふ)の終わりごろの戦国時代だね。鉄砲やキリスト教がわが国に入ってきたこと、今川義元、織田信長のことも習ったよ。
信長は琵琶湖のほとり(今の滋賀県)に安土城を築き、城下町(じょうかまち)に家来や商人を集めたり、ヨーロッパ人に教会や学校をつくることを許したりしたそうだよ。
織田信長

研一 ボク:研一のひとこと
戦国大名と呼ばれる領主の居住する城を中心に城下町がつくられ、楽市・楽座など商工業の発展につながる政策が行われた時代だね。山口とのかかわりではイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島、山口、京都、豊後府内(大分)で布教したことなどを調べたよ。ところで、ザビエルもパンを食べていたんだろうね、きっと。

母 母:育代のひとこと
わが国にヨーロッパ人つまり南蛮人(なんばんじん)が来航した背景には、ヨーロッパでの宗教改革の影響があげられるのよ。ルターやカルヴァンらによる改革によって誕生した新教徒(プロテスタント、ピューリタン)がヨーロッパで勢力を拡大したことに対して、旧教徒(カトリック)側ではアフリカやアジア及びアメリカなどに布教していこうとする宣教団がいくつも結成されたのよ。イエズス会はその一つで、イグナチウス・ロヨラやザビエルらが中心になってインド、中国などでの布教をめざしたのよ。彼らの後輩では、中国の明朝(みんちょう)でユークリッドの幾何学を紹介した「幾何原本(きかげんぽん)」や世界地図の「坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)」を作成したことで知られるマテオ・リッチこと中国名、利瑪竇(りまとう)が有名ね。マテオ・リッチはマントウを食べてたのかな。


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