スプーン一杯の砂糖 砂糖はいつごろ スプーン一杯の砂糖
父 父:教一が語る「砂糖の歴史」
いよいよ終わりに近づいたね。こんどは砂糖はどこからいつごろわが国に入ってきたのかな。
砂糖はサトウキビを原料とするカンショ糖とテンサイ(砂糖大根)を原料とするテンサイ糖があるんだよ。サトウキビはニューギニアが原産といわれ、7世紀にアラブ人がヨーロッパに伝えたらしい。日本には意外に早く、754年に中国から鑑真が伝えたといわれる。正倉院の宝物の中にも薬として伝えられており、奈良時代に伝わったことは間違いないようだね。
テンサイ糖の方は1747年プロイセン(現在のドイツ)の化学者マルクグラーフがテンサイから糖分を抽出する方法を発明し、その後、サトウキビが手に入りにくいヨーロッパ北東部やロシアで盛んに生産されるようになったそうだよ。
妹 妹:修子のひとこと
鑑真ってすごいわね、味噌もこのころだったと朝食で分かったばかりなのに。
研一 ボク:研一のひとこと
化学者のマルクグラーフさんはテンサイだね。彼のおかげで世界中で多くの人が甘い思いができたのだから。それから1747年ごろっていったら、徳川吉宗(とくがわよしむね)が享保の改革(きょうほうのかいかく)を行っていたころだね。庶民の意見を聞くため目安箱(めやすばこ)を設置したり、裁判の基準を決めた公事方御定書(くじかたおさだめがき)をまとめたころだね。
母:育代のひとこと母
18世紀中頃の世界貿易わたしは砂糖が17世紀から19世紀にかけて世界の変化に大きな影響を与えた砂糖革命(シュガーレボリューション)について話してみるわね。大航海時代の後、イギリスは、サトウキビ栽培に適したアメリカに広大なプランテーションをつくり、生産を拡大したのよ。これは当時、イギリスが中国やインドから独占輸入していた「紅茶」をヨーロッパで売り込むためだったの。紅茶に砂糖を入れて飲む風習が貴族だけでなく、一般庶民にも広がりはじめていました。そこで砂糖の増産が必要だった訳なの。しかしサトウキビの栽培は過酷な労働であったことと、労働力が不足していたことから、アフリカ原住民を奴隷としてアメリカに送り込んで働かせたのよ。これが奴隷貿易と呼ばれるものよ。この結果、アメリカでは後の奴隷解放運動や南北戦争、アジアではインド大反乱(セポイの乱)、中国のアヘン戦争、そしてヨーロッパの産業革命と労働運動など、後の世界の大きなできごとや歴史の流れに砂糖は深く関連しているのよ。
砂糖は決してアマくないことが分かるでしょう。

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