味噌樽 お味噌はいつごろ 味噌樽
父 父:教一が語る「お味噌の歴史」
だれでも自分や自分の物が一番いいと自慢することを「手前味噌(てまえみそ)」って言うんだよ。昔は味噌は各家庭ごとに作っていたので、それぞれ味が違っており、自分の家の味噌が一番うまいと自慢していたことに由来するんだ。
味噌は、中国で作られていた醤(しょう、ひしお)に起源があるといわれ、日本に伝わった時期ははっきりしないけど、8世紀初めごろの書物に「醤」「未醤(みしょう)」と呼ぶ発酵食品が登場しているよ。
伝来のルートは朝鮮半島経由で伝わった味噌玉と呼ばれる餅(もち)こうじを使用するものと直接中国大陸から伝来した径山寺(きんざんじ)味噌のように撒(ばら)こうじを使用するものがあるんだ。
現在の「味噌」の文字は12世紀の平安末期の扶桑略記(ふそうりゃくき)に初めて登場しており、平安時代には広く普及し、一般に販売されたものもあったようだよ。
味噌は原料の違いから米味噌、麦味噌、豆味噌に分けられるんだ。工場で大量に生産されるようになったのは江戸時代の初め、17世紀中ころからだといわれているよ。


妹 妹:修子のひとこと
お味噌ってそんなに古くからあったの、8世紀初めっていったら平城京が造られたころだから、奈良時代ね。そうだ聖武(しょうむ)天皇や鑑真(がんじん)が活躍したころね。


研一 ボク:研一のひとこと
未醤(みしょう)が味噌(みそ)になったということだね。それに鑑真といったら唐招提寺(とうしょうだいじ)が有名だね。鑑真が味噌の製法をわが国に伝えたという説もあるようだね。こちらからも遣唐使をたびたび唐に送っているころだからいろんな人や物の交流が行われたんだね。


母 母:育代のひとこと
8世紀といったら中国は唐(618〜907年)王朝の時代ね。玄宗(げんそう)皇帝の開元の治(かいげんのち)が行われたころだったら詩人の李白(りはく)、杜甫(とほ)が有名ね。それに李白といえば、彼と交流のあった阿部仲麿(あべのなかまろ)は、わが国から留学し、玄宗皇帝に仕え、唐であべのなかまろ没した日本人なのよ。

「天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に 出でし月かも」阿部仲麿(百人一首)

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