歴史の概観 年表 弥生人の渡来 東大寺再建と重源 壇ノ浦の決戦 大内文化と「西の京」 毛利氏 朝鮮通信使 巌流島の戦い 吉田松陰 高杉晋作 馬関戦争 幕末維新 廃藩置県と「山口県」の設置 8人の総理大臣 歴代の県知事 |
歴史の概観 |
ここでは、山口県の歴史全体のあらましをみてみましょう。 |
フランシスコ・ザビエル | 毛利輝元 | 松下村塾 |
【 アジア大陸に近い山口県は、早くから大陸文化の影響を受け、紀元前2〜3世紀には稲作技術が伝わり、水稲耕作が行われてきました。 4〜5世紀頃、大和政権による統一国家が形成され、県内には6つの |
【 平安時代から鎌倉時代にかけては、地方の武士団が 室町時代に入ると、大内氏が、 |
【 しかし、1600年の関が原の戦いで また、 |
【 江戸幕府が滅んで、明治政府が成立(1868年)すると、長州藩は他藩に 明治政府は、多くの新しい制度を取り入れ、近代化政策をおし進め、中でも、近代工業の導入と振興に努めました。本県においても、セメント製造や硫酸製造の工場が設立されるなど、近代工業の芽生えがみられましたが、まだ、明治時代は農業を中心産業とする県でした。 大正期に入ると、県内の豊富な 一方、農業、林業、水産業などの第一次産業は、工業化の進展とともに産業としての比重が相対的に低下してきました。さらに、近年においては、都市化の進展にともなって、商業、サービス業などの都市型産業が成長を続けるとともに、従来の産業分野を乗りこえた多彩な産業活動が活発化し、新産業の創出や新規事業の取組みが展開されています。 本県の人口の推移をみると、明治維新の頃に約80万人であった人口が、明治の終わり頃には100万人を超え、第二次世界大戦後(1948年頃)には150万人を突破しています。その後、一時期160万人を超えていましたが、近年における人口の大都市集中や少子化などによって減少傾向にあります。 |
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山口県編 『山口県史 資料編/史料編』 山口県 1996年〜
小川国治編 『山口県の歴史』 山川出版社 1998年 八木 充編 『図説 山口県の歴史』 河出書房新社 1998年 山口県編 『きらめき山口Q&A』 山口県 1999年 山口県山口図書館編 『防長郷土史料目録』 マツノ書店 2001年 |