タイトル

歴史 歴史の概観 年表 弥生人の渡来 東大寺再建と重源 壇ノ浦の決戦 大内文化と「西の京」 毛利氏 朝鮮通信使 巌流島の戦い 吉田松陰 高杉晋作  馬関戦争 幕末維新 廃藩置県と「山口県」の設置 8人の総理大臣 歴代の県知事
弥生人の渡来
 山口県には、古来より大陸文化の影響を受けていたことを物語る多くの遺跡が残されています。響灘ひびきなだ沿岸地域には、下関市の綾羅木郷あやらぎごう遺跡、梶栗浜かじくりはま遺跡、地蔵堂遺跡、中ノ浜遺跡、長門市の向津具王屋敷むかつくおうやしき遺跡など、中国大陸や朝鮮半島の古い品々をともなう遺跡が多く分布しています。
 特に、下関市にある国指定史跡土井ヶ浜どいがはま遺跡は、弥生時代の集団墓地遺跡であり、そこから発見された弥生人の300体余りの人骨は、前代の日本列島に住んでいた縄文人とは明らかに異なる形質的特徴を持った人々であることが証明され、大陸から新しい文化をもたらした渡来人とらいじんのものと考えられています。
 

土井ヶ浜遺跡(父と子)

人類学ミュージアム
 
土井ヶ浜遺跡
 この遺跡は、昭和28年から昭和32年まで5次にわたる発掘調査がおこなわれ、弥生時代人骨が多数出土し、初めて弥生人の顔・かたちが判明したそうです。彼らの顔・かたちは、縄文人とは異なる容貌をしていることが明らかとなり、日本人の形質変化の研究や日本人の起源論争に大きな一石を投じることになったのだそうです。保存状態の良好な弥生人骨が300体を超えるほど大量 に出土した遺跡は、山口県の土井ヶ浜遺跡だけなのです。 

土井ヶ浜遺跡の頭骨
 この遺跡の頭の骨は、あたかも、はるか西北の大陸をのぞむように顔をむけてほうむられています。
 
  21体を寄せ集めた再葬墓
(頭骨集積部)

  
 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムへ行ってみよう!

松下孝幸 『土井ヶ浜遺跡の弥生人たち』 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム 1999年 
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